2012年04月19日

本当の「経済」を考える

 経済というものを神様的な視点で考えたとき、「モノの価値を上げ豊かな社会を作り上げる」という目的を見出せたり、「価値の流通を促進させ人間社会全体でひとつの生き物」という現象を発見したり、色々なことに気がつくことができる。

 ここで共通するのは、経済は「静止」していないことである。「静止」しているものは経済とは言えない。

 次に個人に目を落としたとき、私たちは「貯蓄」という行為を行う。これは価値を溜め込み、静止させる行為で、神様的な視点で考えた経済とは異なる。
 神様的な視点で見れば貯蓄は悪であり、経済とはいえないのである。
 しかし、個人では貯蓄は美徳になる。それは大きく揺れ動く自然に唯一人間ができる備えであり、有事の際には社会全体の調整弁の役割を果たすからだ。

 では貯蓄が美徳となり悪と断罪されない「有事」とは何を指しているのだろうか。

 大前提として人間は常に消費する動物である。
 どんなに再利用を促進していたとしても食料をエネルギーとして消費しなければ社会活動を維持できないし、生命活動も維持できない。
 ここで、消費するエネルギーはどこで生産されているかという問題が発生する。
 現在の人間社会は残念ながら自然から自由になることは達成できておらず、常に自然に依存することになる。
 日が昇らなければ作物は育たないし、雨が降らなければ植物が枯れるだけではなく、動物も死に絶えてしまう。
 幸いにも自然は概ね寛大な心の持ち主で毎日のように日は昇るし、毎年のように梅雨には雨が降る。
 ただ時として自然は意外な行動をとり、何日も雨を降らさなかったり、地震を起こしたり、津波で海岸を破壊したりする。
 これらの自然の不意な行動に対応するために私たちは貯蓄を行うのである。
 貯蓄を行えば、自然が意外な行動を取ったとしても生命をつなぐことが可能になる。
 このリスクに備えるための貯蓄は「善」であり、それ以外の貯蓄は「悪」であると分けることもできる。
 しかし、別の見方をすれば貯蓄を行う必要は自然に依存するところに原因があるので、もし自然に依存しない社会になるならば、貯蓄はまったく必要なくなる。

 本当の経済を考えたとき、私たちは、貯蓄を不要とする自然に依存しないエネルギー生産手段に投資すべきなのだろうと思う。

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