2014年04月08日

なぜ人間は生きているのか疑問に思うのか

「なんで自分は生きてるんだろう?」って思うことがよくある。しかし、よく考えてみれば、ラーメン屋はラーメン作るために生きてるんだし、主婦は家事子育てするために生きてるんだし、商社マンはものを買ったり売ったりするために生きてる。そこに疑問を感じるのはなぜなんだろう?

自分の境遇に満足できていないから、生きていることにさえ不満を感じている。のかもしれない。ただ境遇は自分で変えることができる。それが良い方向に転ぶか、悪い方向に転ぶかわからないが、とにかく変えられる。ならばなぜ変えないのか。実は満足しているのか。

いや、満足なんかしていない。だって生きることにさえ不満を感じているのだから。ならばなぜ自らの境遇を変えないのか。やはり不安が大きいのだろう。変わってしまうことで自分がどうなるのかわからない。悪くなるぐらいならまだいい。もしかしたら死んでしまうかもしれない。

結果、自己撞着に陥り、自分の置かれた境遇を変えられないから、また「なんで自分は生きてるんだろう?」と疑問に思うようになる。

信じることで人は救われる。これはどんな宗教でも同じことを言っている。ならばそれを自分のやっていることに向けたらどうだろうか。今、自分がやっていることは「正しい」または「価値がある」「誰かのためになる」「社会に貢献している」と。

しかし、ここにも疑問が生じる。他の人と較べて自分のやっていることはなんてくだらないのだろうかと。職業に貴賎なしと言いながら、自分の職業を貶める。他人の職業を必要以上に価値のあるものとして扱う。おそらく職業自体の価値に差はない。

そこにあるのは、「信じているか否か」という違いだけだと思う。迷いなく行っている行動は全部正しく見えるものだ。信念は不思議な魅力を生む。信念から行う行動はオーラをまとう。例え旧来の価値観で間違っていると断じられても、迷いがなければ正しく見えるものだ。

「なんで自分は生きてるんだろう?」と考えることは大事なことだと思う。迷うことも大事だと思う。ただし、ある一定の結論以上は今の自分には必要ないと考えるべきだ。信じて進んだ道の先にしか見えないこともたくさんあるのだし、立ち止まる時間は短いほうがよい。

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