2015年06月22日

少数派の権利を守る正義を勘違いする人たち

「父親がいない家庭に配慮して、『父の日』のイベントを廃止しよう」というのは、母親しかいない家庭に配慮した美談だと捉えがちだが、どう考えても多数派の権利を侵害している愚かな行為である。

沖縄基地移転の問題と同じ構造に思えるかもしれないが、沖縄基地移転では多数派の権利は侵害されていない。これが本土に移すとなったら初めて多数派の権利侵害が起こる。

さらに上記の例では少数派の権利すら侵害されていない。少数派に配慮した結果、多数派の権利侵害が起こることはリベラル的には正しくない。だが、この論理を正しいとしている自称リベラルが多いのも確かである。

リベラルは他人の権利を侵害しない限り自由というのが原則で、自由の前に他人の権利を侵害してはいけないのである。

また戦争が発生した場合のことを考えるとリベラルは戦争を政府に頼らず遂行する義務が発生する。それがリベラル(自由主義)の持つ責務である。自由を守るためにはだれでもない自分が戦うのだ。

自称リベラルの人たちは都合の良い所だけ「リベラル」を主張する。そして、それがあたかも正しいことであるかのように触れ回る。

責任を放棄した自由は主義でも主張でもなんでもなく、単なる「わがまま」である。

大人の「わがまま」ほど格好悪いものはない。

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