数学のネタ

 数学の世界と哲学の世界は親和性が高いです。
 さらに哲学の世界と小説の世界は同じく親和性が高いです。
 すると以下のような関係式が成り立ちます。

 数学 ∽ 哲学 ∽ 小説

 ならば、

 数学 ∽ 小説

 も成り立ちそうですね。

 ということで、ここでは数学のネタをためていくことにします。

ガリレオの躊躇い

 ガリレオと言えば地動説を唱えて死刑にまでなってしまった数学者・物理学者です。詳しくはWikipediaでも見ていただければと思います。

 そのガリレオがためらったこととは何か?
 数学ガールから引用します。

 ガリレオは、自然数(n)から平方数(n*n)の全単射(簡単に言えば、
 まったく同じモノに戻すことが可能な変換)が作れることを知っていた。

   1→1、2→4、3→9、4→16、……

 《全単射が存在すれば個数が等しい》というのなら、自然数と平方数の
 個数は等しいと言えるのだろうか……いや、おかしい。とガリレオは考えた。

 この部分こそがガリレオの躊躇いなのです。
 ガリレオはこの性質を「おかしい」「間違っている」と考えてしまったが、19世紀カントールやデデキントは、これを正しいこと、「無限の定義」と感じた。
 これが出来ると何が起きるかと言えば、「無限」の状態にある集合の数を数えることはできませんが、他の「無限」の集合と比較して個数が同じかどうかを調べることができるのです。
 今まで雲をつかむような存在であった「無限」がハンドリングできるようになったんですね。

 これを哲学的に考えると、「無限」とは人類に認識できない高次元の存在ではあるけれど、他の「無限」の存在と比較することで「ある性質」が同じかどうか認識できる方法があるということになります。
 小説的には「神様の力を使う」際の裏付けや、異世界の物質(または人物)と交信できる手段とかに使えそうです。

ライプニッツの夢

 ライプニッツという人は、人間の思考をすべて数式や記号で表そうとした人です。詳しくはWikipediaでも見ていただければと思います。

 ライプニッツは「思考を計算」に見立てました。
 人間の思考を機械的な計算で行おうと思ったのです。
 以下は数学ガールにあったライプニッツの言葉の引用です。

……人は誰でも計算だけで、
現に最も困難な真理すら判断することになるであろう。
以後、人々はすでに手中にしているものについて、
もはや論争することなく、新たな発見に向かうことになろう。

 これは、思考の過程が機械的になることによって、そこに感情などの不確実性を挟むことなく、誰でも同じ結論に達することができるということです。
 この夢は非常に哲学的で、数学を研究する意味として心に残る言葉だと思います。

 ライプニッツの夢が実現した世界を小説として書くのも楽しそうです。誰でも同じ結論に達することができる世界では本当に争いごとがなくなっていないのかどうか。人類のリソースは有限ですから、計算を進めて自分たちに都合の悪い結果が出たらやり方を変えて計算を進める……一方相手はその結果を計算ではじき出して、それに対抗する……永遠と計算だけしている世界になりそうですね。平和ではあると思いますが。

ラッセルのパラドックス

 ラッセルと言う人は『算術の基本法則』にパラドックスを発見した人です。
 ラッセルのパラドックスは、「いかなる命題でも集合を定義できる」と定義すると矛盾が生じるということを指しています。
 これは基本法則が曖昧で不確かな基盤に立っていることを示すこととして、ちょっとした事件になりました。
 このパラドックスは、ゲーデルの不完全性定理につながってきたと思います。

停止性問題

 チューリングは、チューリングマシンという人工知能、もしくはパソコンの元になる機械を考えた人として有名ですが、そのチューリングマシンが解けない問題があることを自分自身で証明しています。
 これは「ライプニッツの夢」を崩す証明になります。

 停止性問題を簡単に、かつ乱暴に解釈すると「プログラムAは、あるプログラムが有限時間内に停止するか判定できない」となります。
 普通に考えると、プログラムが有限時間内で停止するかどうかは、「無限ループ」が論理的に存在するかどうかで判別できますが、この問題はプログラムAに自分自身を扱わせることで、ラッセルのパラドックスと同じようなことが起きると示しています。
 Wikipediaに書いてあることを読んでもさっぱりわからない問題の1つです。

ラプラスの悪魔

 ラプラスの悪魔は結構ラノベで使われたことのある有名な考え方です。
 やっていることはライプニッツの夢に近いところがあり、この世のすべての物質の初期値と変化量が分かれば未来は計算できるという考え方です。
 この考え方自体は「計算するためのエネルギーを計算するエネルギーが必要になり、エントロピーの増大を起こす」ことが分かり、結論としては「不可能」と証明されています。
 この考え方も「自己に言及する必要がある故に否定される」という状態になっていますので、他の考え方と類似する点が多々あると思います。

ゲーデルの不完全性定理

 ゲーデルの不完全性定理は2つあります。

ゲーデルの第一不完全性定理

ある条件を満たす形式的体系には、
以下の両方が成り立つ文Aが存在する。

・その形式的体系には、Aの形式的証明は存在しない。
・その形式的体系には、(not)Aの形式的証明は存在しない。
ゲーデルの第二不完全性定理

ある条件を満たす形式的体系には、
自己の無矛盾性を表現する文の形式的証明は存在しない。

 ここで面白いのは、「ある条件を満たす形式的体系」というのに「数学」を当てはめることができることです。
 つまり、ゲーデルの第二不完全性定理を適用すれば「数学は矛盾している」と読み取ることが(曲解ではありますが)できます。
 ただし、逆に言えば他の形式的体系から「数学」は完全であると証明することが可能だとも言っているのです。
 ここから思い起こされるのは、デカルトの「我思う、故に我あり」という文章です。この文は「考えている自分がいるのだから、自分は存在している」という意味合いですが、ゲーデルの第二不完全性定理を適用すると、自己に言及して証明することは不可能なわけで、どうしても他の形式的体系(つまり他人)からの承認が必要になるはずなのです。
 この2つは相反する結論ではありますが、ともに「自己に言及する」というところを取り扱っており、結局のところ、数学と哲学の根本は同じ問題なのではないかと考えさせる事案だと思います。

バナッハ=タルスキーのパラドックス

「球を適当に分割して、組み替えることで、元と同じ球を2つ作ることができる。」というライトノベルでは非常に重宝しそうな事実です。
 公理を使って証明することができ、物理世界への適用は不可能そうではありますが、「嘘」ではないところが味噌です。

タルスキーの円積問題

 上記のバナッハ=タルスキーのパラドックスは、三次元以上の空間でのみ成り立つため、二次元ではなりたちません。
 ただ、同じような問題は知られており、それがタルスキーの円積問題というものです。

 円を有限個に分割して組み替えることで同じ面積の正方形が作れるという問題です。

 こいつ、何がすごい買って言うと、割り切れない円周率が、2つの数字の積である正方形の面積で表すことが出来てしまうってところです。

プランク時間

 プランク時間とは、物質が取りえる時間単位の最小値と言われています。

プランク長

 プランク長とは、物質が取りえる長さの最小値と言われていますが、シュヴァルツシルト半径がプランク長以下かもしれない可能性があり、現在も証明されていません。

フェムト秒レーザー

 フェムト秒という短い時間で照射するレーザーで化学反応の進行状況を測定するために用いられてきたが、現在ではガラス素子に半永久的に記録できる5Dストレージとしても実用化されている。

マクスウェルの悪魔

 全物質の初期状態と運動量を計算でき、それを観察する悪魔のことだが、この仮定は時間とともにエントロピーの拡大が収束しないことから、この悪魔は実在されないことが論理的に証明されている。
 しかし、少し条件を見直すと実はマクスウェルの悪魔は我々なんではないかと考えることもできる。閉じられた世界(ゲーム)から切り離された計算資源を使い、我々は観察対象の世界の未来を予測できる。ただし、観察対象の世界に、我々の世界から関与できた場合はその限りではない。

パブロフの犬

オッカムの剃刀

シュレディンガーの猫

ヘンペルのカラス

クラインの壺

パンドラの箱

神の見えざる手

ヤマアラシのジレンマ

見えざるピンクのユニコーン

ゼノンのパラドックス

テセウスの船

カルネアデスの板

コンドラチェフの波

中国語の部屋

ウラムの螺旋

カオスの縁

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Last-modified: 2016-02-17 (水) 15:14:03 (467d)